新理事長就任のごあいさつ

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6代目 理事長 杉 野 邦 彦

 
 当組合は今年44周年を迎え、お陰さまで今では135社、江別市の製造品出荷額のおよそ半分を占める重要な産業集積地となりました。
 これも歴代の理事長、役員、理事の方々の大きなリーダーシップと、組合員の皆さまのご協力と、加えて組合事務局が縁の下から支えてきた「チーム工業団地」の力であると深く感謝いたします。
 
 わが江別工業団地の経緯について少し触れさせていただきます。
 もともとは、昭和43年の石狩川拡幅工事と共に考えられた工栄町一帯の区画整理に端を発します。
 土地の交渉と区画整理がついた昭和45年に受入協議会を設立し、団地造成への準備が始まりました。
 北海道および通産局の指導で「相互扶助」の精神の元に、組合設立への同意書をいただきながら企業誘致に取り組み、4年後の昭和49年11月、立地企業82社により晴れて江別工業団地協同組合がスタートしました。
 
 当時の工業団地としては珍しい、金属、食品を含む製造業・建設・運輸・サービス業の異業種集団の組合活動が始まりました。
 しかし、組合設立44年間の道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
 設立5年目の昭和53年に土地を取得し、組合活動の拠点として工業会館を建設し、売店や食堂、展示室の設置、会議室の貸出し、簡易郵便局、理容室の運営などを手がけましたが、計画したようには利用が伸びず、有利子負債は大きく膨らんでいきました。
 
 そこで累積赤字対策として考えたのが共同受電です。
 昭和57年2月から準備に入りました。
 しかし、当時の共同受電事業は鉄鋼団地のような同業種の例はあっても、江別のように異業種の集団は前例が無いということもあって、なかなか認可が下りません。
 当時の野幌林産 菅原市蔵理事長と、菊水 杉野森一副理事長が何回も東京に足を運び、陳情を続けました。
 また北電の社長に就任前の戸田一夫常務にも会いに行き、思いをぶつけて協力をお願いしたそうです。
 戸田さんは、北電も北海道の中小企業の活性化に役立たなくてはならないと、2回も江別に来てくれたそうです。
 更に地元の町村信孝先生のご支援もいただき、実に3年10ヶ月の月日が流れた昭和60年12月、ようやく認可が下り、昭和61年4月より運用開始にこぎ着けました。
 
 最初こそは黒字スタートの共同受電事業でしたが、大口需要家の退会等もあり、わずか3年で再び深刻な赤字経営に転落しました。
 とにかく節約しか打つ手が無く、当時の事務局員はボールペン1本買うのもはばかって自分で購入していたと聞きます。
 10年ほど苦しい時代が続きますが、徐々に新規の加入企業が増えてきたこともあり、平成11年3月、ようやく累積赤字を解消することができました。
 更に電力自由化が囁かれるようになった平成12年からは北電との契約内容の見直しで収益が改善。
 平成14年からは電力事業利益の一定割合を利用組合員に還元できるまでになり、現在組合員への電力供給額は10億円を超えました。
 この共同受電事業という根幹ができて組合活動は活発になり、特に5つの委員会(総務委員会、福利厚生・広報委員会、販売購買委員会、共同受電事業委員会、安全衛生委員会)が活躍しています。
 組合員間の親睦を図るための福利厚生事業はもとより、団地内生産商品のPRを兼ねた「産直朝市」は、市民が1400名も来場する人気イベントとなりました。
 組合員への教育研修講座も数多く実施するかたわら、団地内の植樹や清掃活動、不法投棄や道路および道路側溝に係わる環境整備、更には地域社会貢献としての大口の寄付や募金活動、交通安全対策として旗の波街頭啓発運動にも力を入れています。
 また、札幌学院大学と連携して経営学科の生徒が組合企業を取材し、企業紹介ページを編集してもらっています。
 これをきっかけに地元企業の良さを知っていただき、地元の学生の就職に結びつけばと願っています。
 
 今や異業種工業団地の成功例といわれ、全国からも注目されるようになった「江別工業団地協同組合」ですが、東洋岩綿工業 本郷実理事長に始まり、2代目の野幌林産 菅原市蔵理事長、3代目の菊水 杉野森一理事長、4代目の山上高圧コンクリート 大石文雄理事長、 そして5代目の日江金属 金田敏雄理事長と、まさに異業種がつないできたバトンの力こそが、山あり谷ありの歴史を乗り越えてきた組合の力に他なりません。
 
 そのバトンを新しい時代へとつなぎ、これからも「緑豊かな工業団地」「地域に開かれた工業団地」そして組合員同士が「ともに学び成長し続ける工業団地」づくりに力をそそぎたいと思います。
 
 どうぞこれからも組合員ご同胞の絶大なるご支援ご協力を賜りますよう宜しくお願いいたします。
 

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